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黒谷和紙職人 茂庭弓子さん

800年の歴史をもつ、強く美しい和紙に魅せられて

黒谷和紙職人
茂庭弓子さん

綾部市の黒谷集落で、800年以上つくり続けられてきた「黒谷和紙」。昔ながらの手漉きの技から生まれるこの和紙に惹かれ、北海道から黒谷へ移住された職人さんがいます。「天職とめぐりあった」と目を輝かせて語る茂庭弓子(もにわゆみこ)さんに、黒谷との出会いと和紙づくりの日々をうかがいました。

9人の職人がつなぐ、伝統の手漉き和紙

黒谷和紙

黒谷和紙の里は綾部市中央部、舞鶴湾に注ぐ2つの川が合流する峡谷沿いにあります。地元の伝承によれば、この地で和紙づくりがはじまったのは12世紀末頃。平家の落人が都から黒谷へたどりつき、生活の糧としてはじめたのだそう。

集落の入り口で「こんにちは」と、私たちを迎えてくれた茂庭さん。2016年に黒谷に移住され、現在黒谷に9人いる和紙職人のひとりとして活躍されています。すぐそばに山が迫り、その先は行き止まりという集落は、小さな”隠れ里”のような雰囲気。和紙づくりには、野山に自生する木々や谷川の豊富な水が欠かせないため、まさに職人さんたちの理想郷のような土地です。

黒谷和紙

全国に和紙の産地があるなかでも、黒谷和紙は昔ながらの手漉きの技が生む「丈夫さ」と「美しさ」が魅力。大正時代には「黒谷和紙は全国一の丈夫さ」と謳われ、戦前まではどの家でも紙づくりを生業にしていたとか。今では規模は小さくなりましたが、地元の方々が「黒谷和紙協同組合」を設立し、伝統の手漉き技術を大切に守り継いでいます。

後継者育成のため、全国でも珍しい「和紙職人の研修制度」を設けているのも黒谷ならでは。茂庭さんもこの制度を活用し、黒谷の里へやってきた一人です。

黒谷和紙

元は北海道で小学校の教師をしていた茂庭さんは、指導要領の改訂で「日本の伝統・文化」を学ぶ科目が加わったことで、地域の文化や工芸に興味を持つようになったといいます。そして、2011年の東日本大震災後、宮城県仙台市に教師として派遣された際に白石和紙と出会ったことが、人生を変える大きな転機となりました。

「手漉きの工程を見せていただき、和紙が植物の繊維からできていることを初めて知りました。自然の素材からこんなに強く、美しい紙ができるのかと感動してしまったんです」(茂庭さん)。

和紙職人になりたいと一念発起をしたものの、手漉き和紙は年々衰退の一途をたどる産業。白石はもちろん、全国の産地を訪ね歩いて弟子入りを志願しても「今から学んでも、生活できないから」と断られる日々が続きました。やがていてもたってもいられず、教師を辞めて他の産地に移住し、平日は仕事をしながら、休日に和紙を漉く練習をはじめた茂庭さん。同じ頃、黒谷で新たな研修生を募集することが決定し、「そこまで情熱を注いでいる方なら」と推薦を受け、2016年に黒谷へやってきました。

楮の栽培から挑む和紙づくり

黒谷和紙

2年の研修期間、材料の準備から紙漉きまで、人一倍熱心に技を磨いた茂庭さんは、2018年に晴れて独立。丁寧で質の高い仕事が評価され、今ではさまざまな仕事を任されるまでに。黒谷和紙の次代を担う、期待の職人のひとりです。

茂庭さんによれば、黒谷和紙ではもっとも丈夫な紙になるという「楮(こうぞ)」の木の繊維を原料に使うそう。1年で2m以上成長するものの、原料として使えるのは樹皮の内側の白い部分のみ(全体のわずか5パーセント程度……!)。必要な量を確保するのが大変なため、職人有志で楮畑を設け、楮の栽培にも取り組んでいるそうです。

黒谷和紙
黒谷和紙
黒谷和紙

写真右の白皮の束が和紙の原料。
引退した職人さんの手を借り、毎年秋に落葉した楮の枝を刈り取り、手作業で白皮を取り出し、乾燥させた状態で保存しておく。

「草むしりから、脇芽を摘む”芽かき”まで、楮の栽培は年間を通してさまざまな手入れが必要です。葉っぱがわんさか繁る夏場は迷路のようで、畑のなかで迷ってしまうことも……(笑)。大変な作業ですが、楮の性格や育つ環境を知ることは、紙を漉くときにとても役立ちます。とても恵まれた環境で仕事ができているなあと感じています」(茂庭さん)。

手で漉くことで、しなやかで強い紙になる

黒谷和紙

和紙づくりの要である、和紙を漉く日の様子を見せていただきました。茂庭さんは朝から「漉舟(すきぶね)」と呼ばれる大桶に水を満たし、5日間かけて準備したという楮の繊維を煮て叩きほぐした原料と、トロロアオイという植物の根の粘液を加え、ていねいに撹拌していきます。

これを「簀桁(すげた)」と呼ばれる道具ですくいとり、前後左右にやさしく揺り動かしていきます。ちゃぷん、ちゃぷんと心地いい水音を響かせながら、次々と紙にかたちを与えていく茂庭さん。何度目をこらしてみても、驚きと不思議でいっぱいの光景です。

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茂庭さんいわく、手で紙を漉くことで「楮の繊維が複雑にからみ合って、丈夫な紙になる」のだとか。それも、パルプを原料とする洋紙よりもずっと強いものになるそうです。「透けるほど薄い紙も漉きますが、ちょっとやそっとの力では破れません。和紙はタフなんです」と胸を張ります。

漉きあげた紙は1日寝かせた後に乾燥させて、完成を迎えます。自然の素材と、丁寧な手仕事から生まれる和紙は、素朴な温もりでいっぱい。光に透かしたときに浮かび上がる地模様も美しいものです。

地元を愛する人々がつなぐ、伝統のバトン

黒谷和紙

黒谷の里と出会うまで、自分の足で他の産地も訪ね歩いてきた茂庭さん。この土地に根ざして活動するいま、黒谷和紙のどんなところに魅力を感じているのでしょうか。

「黒谷は産地として歴史が長いため、ハガキのような文具から美術用、内装用まで、さまざまな和紙の種類と技法が伝わっています。日々いろんな紙を漉けることが楽しくて仕方がないんです」と、にこにこと語ります。そういえば、黒谷で出会ったどの職人さんの姿や言葉からも、黒谷和紙への愛情と誇りがあふれんばかりでした。それはきっと、和紙づくりに情熱を傾ける人々が、全国から黒谷に集まってきているからなのでしょう。

「紙漉きで分からないことがあったり、迷ったりするときは、近所を歩いているお年寄りに声をかけるんです。どの方も職人の先輩なので、快くご自身の経験を教えてくださいます。こんな風に、世代から世代へ知恵や技がしっかりと受け継がれているのが、黒谷の素晴らしさだなあと思います。自然の素材が相手なので、思うようにいかないこともあるけれど、だからこそ挑戦のしがいがある。紙漉きの仕事は、一生かけて追い求める道のように感じています」。

黒谷和紙協同組合

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