京都市内から車で約1時間、豊かな森に抱かれた京丹波町に暮らす皮革作家logseeの石黒由枝(よしえ)さんと幹朗(みきお)さんご夫妻。兵庫県から移住したお二人は、作品を通して革がもつ美しさや可能性を探求する一方、毎年春のアートイベント『森の展示室』の運営に携わり、地域とアートをつなぐ活動にも取り組まれています。お二人の京丹波との出会いとものづくりの日々を伺いました。
あくせくしない暮らしを求め、京丹波・和知へ
ご夫婦共に兵庫県に生まれ育ち、結婚後は西宮市を拠点にしていた石黒さん夫妻。「若い頃から、都会暮らしに違和感を感じていた」というお二人にとって、京丹波への移住はごく自然な流れだったといいます。「都会にいると、せかせかと時間だけが流れていく気がして。なんでもあるけど、本当に欲しいものがない気がしていました」。
現在はデュオとして活躍する石黒さん夫妻ですが、最初にこの仕事を始めたのは由枝さんでした。元々ファッションが大好きで、アパレル業界を経てレザーの鞄や靴の修理の仕事をするようになった由枝さん。やがて「自分でも作ってみたい」と思うようになり、神戸のフルオーダーの鞄工房で修業後に独立。高級皮革を用いたオーダーバッグの制作が軌道に乗り始めたタイミングで、念願だった移住に踏み切ったそう。その後、次第に忙しくなっていった由枝さんを手伝う形で、美大出身で会社員をしていた幹朗さんがlogseeに参加。二人体制でのものづくりがはじまりました。
石黒さん夫妻が暮らすのは、京丹波町北部の和知エリア。由良川上流に位置し、川から山に向かって階段状に田畑が広がる「河岸段丘」と呼ばれる美しい地形でも知られています。ちなみに、二人が和知を選んだ理由は「関西近郊を探したなかで、ここがもっとも田舎で、何もなかったから(笑)」。
「高台に建つ自宅前から眺める風景に、僕らはひと目惚れしてしまったんです。田畑が多く、空気が澄んでいるので、ひとつ向こうの集落もよく見える。夕暮れどき、影絵のように山や家が浮かび上がってくる姿も幻想的で美しかった。インドネシアの影絵みたいだなあと思ったんです」(幹朗さん)。
「山が近いので1本1本の木が見えて、四季の変化も手にとるようにわかります。実際に住んでみて、ますます和知が大好きになりました」(由枝さん)。
てくてく坂を上った先にある二人のアトリエは、古い農具小屋を改装したもの。大きな窓から日差しがたっぷりと降り注ぎ、景色も最高。窓を開ければ、鳥の声や田畑を吹き抜ける風、木々のざわめきが心地よいBGMに。「しとしと降る雨音さえも愛おしい」と由枝さん。
「ここには、遊ぶ場所やお店は少ないけれど、その分自分たちにとって本当に必要なもの、不必要なものがはっきり分かるようになりました。何もないなら自分たちで工夫して作ればいい。以前よりずっと、豊かな気持ちで過ごせるようになりました」(幹朗さん)。
LO:美しい革にふれる喜びを日常に
和知の自然の美しさ、厳しさを感じながら暮らしを営むなかで、少しずつ「二人それぞれが表現したい方向が明確になった」という石黒さん夫妻。現在は、夫婦それぞれが新しいブランドを立ち上げて活動しています。
由枝さんが新しく立ち上げたブランドは「LO(エルオー)」。長年磨き上げてきた高い縫製技術をベースに、よりシンプルで実用的な革小物を展開しています。手がけるのはバッグや財布から、スリッパ、鍋つかみなどの暮らしのアイテムまで。「フルオーダーが技やデザインの足し算だとしたら、LOは引き算のクリエーション」と由枝さん。装飾をとことん削ぎ落とすことで、線やフォルムの美しさが際立ち、革本来の表情や質感を引き立てます。使い込むことで革がよりしなやかになり、艶を増していくのも魅力です。
unn:動物が生きてきた痕跡に光を当てる
一方、幹朗さんが立ち上げた「uun(ウウン)」は、素材としての革になる前の「皮」に着目したライン。京丹波の里山を守るため、害獣駆除の猟で仕留められた鹿や猪の生皮を譲り受け、自らなめしてオブジェやアート作品を制作しています。
作品が生まれたきっかけは、夫婦で地元の猟師さんの猟に同行したこと。「革を扱う者として、二人ともきちんと”はじまり”を知りたいと思っていたんです」(幹朗さん)。見学前は少しナーバスになったそうですが、当日、実際に目にした光景は想像とはまるで違ったといいます。「猟師さんはできるだけ動物に痛みを与えないよう瞬時に仕留め、鮮やかな手捌きでジビエの肉へと解体していました。一切の無駄がない猟師さんの動きには、命を奪う相手、自然への畏敬の念があふれていた。その姿に心から感動したのです」。
試しに生皮を分けてもらい、自分で加工してみると「さらなる感動が待っていた」と幹朗さん。肉を削ぎ、毛を抜き、洗い上げた皮を干してみると、動物として生きていたときに刻まれたしわや傷、汚れ、血管の跡がくっきりと現れたそう。それは、過酷な自然を生き抜いてきた一頭一頭の生きざまであり、たしかな命の痕跡。「なんて尊いのだろう、この命の美しさを表現したいと思いました」。
アトリエの天井から吊るされた袋のような球体は、幹朗さんが鹿皮を薄く伸ばして仕立てたランプ。太陽や照明の光を通すと、皮がもつ個性が模様のように浮かび上がります。ほかにも木の塊を鹿皮で包んだり、地元の森の土、枯葉と組み合わせたオブジェも。ひとつ手にとるとかつて宿っていた命の記憶、森の気配が身近に感じられてくるよう……!
移住者から、アートと地域をつなぐ存在へ
和知エリアでは毎年4月に、『森の展示室』という野外アートイベントが開催されています。この企画は、「自然との共存」をテーマに森の中で、地元のアーティストや工芸作家が自由にインスタレーション展示をするもの。石黒さん夫妻は、2019年から前任の主催者である和紙作家ハタノワタルさんから運営を引き継ぎ、さらなる活性化に挑んでいます。
「元は一作家として参加していたのですが、森のなかに作品を展示することで得られた経験がたくさんあったんです。ごまかしが効かず、ものの本質が見えてきたり、雨や日光にさらされて、皮が変化していく面白さも知った。作り手がさまざまな刺激を受けられる機会がなくなるのは惜しいと思い、引き継がせていただきました」(幹朗さん)。
もちろん、作品を鑑賞する人々にとっても『森の展示室』は大切な場所になっています。春の息吹に満ちた森をめぐることで自然を体いっぱいに感じたり、作品から親子で自由に想像を膨らませてみたり……。新たな出会いや感性を高めてくれる存在なのです。
大切な命から生まれた革の価値を高めていく由枝さんのLO、革と皮の境界線を自在に行き来する幹朗さんのunn。そして、地域と人をアートでつなぐ活動。logseeのものづくりは、京丹波の自然やさまざまな人との出会い、心地よい暮らしに導かれながら、日々豊かに進化し続けています。